宗さに♂(ネームレス)
宗三と審神者の眠れない夜の話です。
今から二百年と少し前に、大予言によって世界は終わるはずだったらしい。であれば、今生きている自分も起きている戦争も全部、おまけの時間の出来事なのかもしれない。
一九九九年に世界は一度終わったんだと、眠れない夜は思い出す。審神者は布団からずるずると身体を起こした。
目が慣れると、自分と闇の境界が徐々に明らかになっていくような気がする。息を潜めて、人間の輪郭が定まったところで障子を開けてガラス越しに外を見た。どこまでも暗く、完全なる深夜である感覚を掴んだので時計は見ずに立ち上がった。
庭でも眺めようかと外に出る。花冷えと表現するのにふさわしいような風に触れて、頬の産毛がざわめいたように感じる。夜の闇とのコントラストで、桜の花はより白んで見えた。
「……宗三?」
満開の桜の下。宗三左文字が佇んでいた。
「宗三はなんで起きてるの」
縁側で、並んで腰かける。爛漫の花を見上げる宗三の横顔に長い前髪が落ちる。
「……別に」
ひらひらと、小さな花弁が散るさまを、つまらなそうに見上げている。
「眠れない?」
「あなたこそ」
「お揃いじゃん」
努めて明るく振る舞う審神者は話し相手を見つけてはしゃぐ子どものようだった。たまに膝の上に落ちてくる花弁を掴もうと審神者の手が空を切る。
「宗三はさ、桜好き?」
突拍子も当たり障りもない会話に、宗三も当たり障りのない言葉を返した。
「さあ、どうでしょうか」
「反応薄っ。でもそういうところも宗三ってなんとなく、桜っぽいよな」
「僕が?」
審神者の軽口に、色の違う瞳が初めて審神者の顔を正面から捉えた。夜でも目が利く打刀と一瞬目が合うと、鼓動が胸を少し強めに叩くのを感じる。
「なんていうか……、綺麗なのに厭世的なところが……似てるよ」
普段心の中だけにあるイメージをまともに言葉にするのがだんだんと気恥ずかしくなり、審神者の言葉は尻すぼみになる。目の前の相手に素面で綺麗と伝えられるほどの図太さは審神者になく、視線を膝に落とした様子を見て宗三は自嘲気味に唇を歪めた。
「随分堂々とした悪口ですね」
「い、いつもの仕返しだよ」
審神者が顔を上げて、唇を尖らせて見せる。
その照れ隠しの表情が少しずつ遠くを見るような眼差しに変わり、また、桜を捉えた。
「……最近寝ようとするとさ、いつも考えることがあるんだ。俺が寝ている間に襲撃されて、みんなが必死に戦って、傷ついて折れていって……何も知らない俺だけが目を覚まして、壊滅した本丸の中で絶望する。……みたいな」
辺りにはシーシーシーという微かな虫の声だけが響いている。審神者の声は頼りなく、闇に溶けていきそうだった。
「敵の狙いは審神者の力だから、そんなことがあれば真っ先に俺をやろうとするはずだし、万が一の本丸襲撃のシミュレーションでどう動くかっていう研修は新しい刀が増える度に確認して、まず俺に状況を知らせるって決まってるし、結界も監視システムも万全で、だからただの悪夢なんだけど……怖くなる」
審神者の揺れる視線の先にあるのは桜ではなく、どこまでも広がるように見える濃藍の夜だった。宗三は視線を追ってそれを見たが、またすぐに口を開いた。
「あなたが闇討ちを恐れるなんて、主君らしくなったのではないですか」
不安に顔を突っ込んだ人間を引き戻すために宗三はやはり皮肉めいた言葉をかけた。何百年の間、栄華の夢を幾度となく見てきた刀にとって今の主の悩みはさしたることには感じられなかった。それでも彼が審神者のためにそうしたのは、あるいは——。
「叶わないなぁ」
審神者は苦笑する。また花弁を掴むのに失敗して膝の上に腕をだらりと下げた。その生白い手首から、青い血管の筋が透けて見える。身体に命を巡らせるその場所が暗闇の中で無防備に晒されている。
「……眠るとは、やわらかな死なのかもしれません。僕たちは毎日少しずつ死にながら、本当の死に向かっていく」
宗三の口をついて出てきたのはそんな観念的なことだったが、審神者は言葉を確かめるように何度か緩く頷いていた。
「……じゃあ、明日はちゃんとおはようって言わないとな」
時々目を逸らしたくなる現実に。いつかの滅びのその一歩に。
「逃げられませんよ」
「……わかってるって」
宗三は審神者に鋭い視線を向けた。それを受けて審神者は思い出した。
そうだ。宗三の顕現に成功して初めて姿を見た時、桜の木の下には死体が埋まっている——という一編を思い出したのだ。
——何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか——。
人間の天下が幾度となく終わった後も世界を傍観してきたから、刀の付喪神はこんなにも恐ろしく美しいのだと思う。
「それに」
宗三は審神者から視線を逸らすと、小さな声で言った。
「それに僕たちが、そう簡単に折られると思ってもらっては困ります」
あくまで平然とした態度で、しかし口の中で呟くような声色のそれ。きっと自信過剰だと笑われてしまいそうでも、宗三なりの慰めとして心にしまいたかった。
「頼りにしてる」
だから審神者は口元を緩めて見上げた。桜の木の更に向こうには名前のわからない星々が薄く光っているのが見える。その数だけ空に死があると誰かが言っていた。